ダライ・ラマに叱られる

ダライ・ラマに叱られた、

気分になった。

ツイッターで日本語版と英語版の

ダライ・ラマをフォローしている。

本人がスマホを操作して発信されているのではないが。

時々アップされているのを読むと

褒めてもらったり

共感してもらったらり

そして叱られたり

した気分になる。

自分の心の立ち位置がわかったりするから

面白く、ありがたい。

叱るという行為は

嘘偽りなく、偏見なく

心の底から相手の幸せを願ってすること

と認識しているので

心を透き通った状態にしておかないと

ただ怒っているのか

叱っているのかの区別がつかないのではないか

と思っている。

これは受ける方ではなく

やる方、叱る方。

受ける方は簡単にわかる。

だから叱られたと感じるのは

同時にとても愛情を感じたということだ。

大人になると怒られることはあっても

叱られることなんて皆無と言っていい。

とてもありがたいこと。

大人になった子供たちに

本当に叱ることのできる親でありたい。

大人でありたい。

心の成長は卒業なんてないんだね。

卒業がなく励み続けるのならば

学校のような春休み、夏休み、冬休み

と決まった休暇はなくとも

休みはいるよね。

しかも、大事。

 

f:id:passion-is-art:20190912135521j:image